ひだまり図書館ブログ

2015.03.05

2月は逃げる。3月は去る。(館長)

 2月は逃げる。3月は去る。今年も6分の1が過ぎ、2014年度としては残すところ
1ヶ月になりました。山鹿市立図書館も年度末を迎え、本年度の反省と来年度に向けて
の課題を整理しています。

昨年11月30日にこもれび図書館がオープンし、ひだまり、こもれび、鹿北、菊鹿、鹿央
の2図書館、3図書室がネットでつながり、また移動図書館車のパソコンとも連動し、利用者の
皆様には利便性が格段に向上したと思っておりますがいかがでしょうか。

ネット社会の便利さを享受しながら、図書館も進化する時代ですが、情報化社会に対応しきれない
世代を含め、あらゆる世代に情報格差が起きないように努めなければと心するところです。
職員の反省と課題の中に、よりよい図書館を目指す基本は「利用者お一人お一人とのコミュニケー
ションである」との声が多々あり、そのことを大切にしていく姿勢が随所にみられたことは、今年
の目標であった「敷居の高くない、頼られる図書館になろう」へと、これから先さらに近づけるも
のと思っています。
また移動図書館車の巡回ステーションや、保育園、幼稚園、小学校訪問も来年度は増加することに
なりました。山鹿市で誕生した子供さんは、ブックスタートから本と親しみ、図書館を親しみある
価値ある施設としてずっと利用していただきたいと思います。

最後に、養老孟司著(日経BP 社刊)「日本人はどう死ぬべきか?」を紹介します。建築家隈研吾氏
との対談ですが、建築家に建造物を頼まれるときは通常出来るだけ古びないものを作るようにと頼ま
れるのだそうですが、東京農大の馬事公苑建設の折、古びる建物を造って欲しいといわれたことが、
建築家として目から鱗だったそうです。解剖学者養老氏との対談です。

2015.02.07

(館長)今年こそは

「今年こそは」、とスタートを切ってひとつきが経とうとしていますが、図書館便りの「ひとこと」に目を向けていただいている読者の皆様いかがですか。
何かいいことがありましたか?

こもれび図書館で、一月の「ひとこと」を読んでいただいた方から、
「館長反応がありましたよ!」と声が上がり、うれしく思い、
「今年こそは」さらに読んでいただけるものをと思っています。

皆様も戦後70年の今年、日本人の誰しもが平和で豊かな世界・地球を願って、
年の幕開けを迎えられたと思いますが、現実はイスラム国で邦人人質事件が起こり、国内に衝撃が走っています。
私達にとっては、遠いところの事件ではありますが、人の命、「命あっての物種」からして、看過できないことです。

いま集英社新書判「心の力」妾尚中著を読んでいます。「心を強くして生きたい」と常日頃思ってはいますが、すぐ心が折れる私は、「今年こそは」と本の帯での紹介文「ミリオンセラー『悩む力』と長編小説『心』の著者が、夏目漱石が100年前に書き残した最大の問題作に挑む。・・・」の読破に挑んでいます。
著者は終章いまこそ「心の力」の冒頭で、「時代と心を切り離すことはできません。人の心は時代とともにあり、また時代は人の心を映しだしてもいます。時代は私たちの心を幸せにもし、不幸にもしますし、また私たちの心がどうあるかによって時代の空気も変わってきます。・・・」その通りだと思います。

私が現役教師の時、山鹿市出身の当時菊池養生園園長だった竹熊先生が講演時生徒に向かって、「『心』はどこにありますか、あるところを押さえてみてごらん」とおっしゃったことを思い出します。 

2015.01.08

新年あけましておめでとうございます(館長)

 新年明けましておめでとうございます。

 昨年はこもれび図書館の開館、ひだまり図書館の拡張工事、
 この2つの図書館と鹿北、菊鹿、鹿央図書室のネットワーク化など
 山鹿市図書館では山鹿市民読書活動推進の充実のための様々な動きがありました。

 今年は本市の2つの図書館と3つの図書室、移動図書館車ぐるりん号、おれんじ号が
 それぞれの持ち味を発揮しながら、
 市民の皆様に「楽しく集え、気楽に足が向く、気軽な場所」をめざし、図書館員一体となって、
 「話」を持って「和」するをモットーに、さらなる努力を重ねて参りたいと思います。

 「睦月」、今年の始まりにあたり「幸福」について少し述べてみたいと思います。
 蒲島知事も県民の幸福量の増大を県政の柱に据えておられます。
 誰しも不幸には見舞われたくありません。

 (「幸福になりたいと思って、そのための努力をしなければならない。
 どっちにころんでもいいという見物人の態度を決め込んで、
 ただドアを開けて幸福が入れるようにしているだけでは、入ってくるのは悲しみである。
 放任された単なる気分は、悲しみやいらだちにすぐ変わる

 そして「幸福を商品のように待ちかまえ値ぶみをするそういう見方では、
 すべてのものが倦怠の色で染まってしまう。
(中略)幸福は見た目に美しいものである。
 これこそもっとも美しい光景である。子どもの美しさよりももっと美しいものがあるだろうか。
 しかも、子どもはすべてを打ち込んでいる。だれかが遊んでくれるのを待ってはいない。


 フランスの哲学者アランの有名な『幸福論』で、仏陀の「少欲知足」の幸福も、
 すべておのれ次第。怠惰な、受け身の幸福なんて幻想にすぎない。
 不幸を嘆き、幸福を渇望するわれら現代人。何かが違っている。
 ・・・・モノやカネでは替えがたい幸福こそが、本当の幸福と呼べるものに違いない。)
 (私の愛読雑誌『MOKU』より)

 ・・・・本年皆様に幸多きことをお祈りし、年頭に当たっての挨拶とします。